2012年01月30日

涙の素

 地下街の占い師さんが並ぶ一角を通り掛ると、壁に『占いは心のエステ』と貼ってあり、なるほど上手いことを言うなと感心してしまった。
 ある手相観の方が書いたエッセイには、相談者の3割が胸の痞えを訴えるうちに涙し、涙を流した後は肩の力が抜けたようになるのだという。だから、時にはわざと泣くのも良い。一人きりになって、泣き声も漏れないようタオルでも口に当てて辛さ悲しみに浸る。泣けてきたら、これまでに遭った嫌な事を全て思い返し、子供がえりしたように一生懸命徹底的に泣く。すると確かに心を洗い流されたような、穏やかな自分を見出せるそうだ。
 もし今すぐ泣けと言われたら、と考えて・・・そんな状況はないと仰るあなた、いえいえ私にはありました、アナウンススクールには表現・演技の授業もあるのです・・・泣けるものが三つ浮かんだ。一つは自分が何の役にも立たない存在だと考える事。自分の嫌な性格が子供の頃母を困らせ、その母が死に、父に苦労をかけ、結婚してからも夫に迷惑を掛け続け、厄病神のような自分。二つ目は『泣いた赤鬼』の物語。大切な友人の為に良かれと思ってした事が的外れで悲しませてしまうのだ。三つ目は数年前に行方不明になった燕のツィのこと。保護して世話していたが一年後に居なくなってしまった。一人で餌をとる事も出来ずどんなに心細い思いをしたかと思うと駄目だ。
 これらは皆、大人になってから出来た屈託だ。彼との結婚によって生まれ、増えていったものだ。子供時代にはないものを背負い始めるのが大人ということか。守りたいものがあればこその悔恨。そうそう、子供の頃には「屈託がない」という明るい使い方しか知らなかったのを、「屈託」と単独で使う事を知ったのも大人になってからだ。屈託は、その内容と価値の評価は別として、人生の勲章であるのかもしれない。泣きたい時に取り出そう。そして涙が乾いたら少しだけ、より強い自分に出会えるように。

くったく 0 【屈託】(名)スル
(1)気にかかることがあって、心が晴れないこと。ひとつのことにこだわってくよくよすること。「―のない顔つき」
(2)疲れてあきあきすること。「―した表情」「一語も発しないで、皆な―な顔をして/空知川の岸辺(独歩)」
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2012年01月26日

あの頃に駆けていく道

 ごくたまに、年に一回くらいだが、走り出したくなる。子供の頃から、40過ぎた今もまだそんな衝動に駆られる。それは何かの用で出掛けた帰りで、最寄の停留所でバスを降りた時などに、突然走りたくなって駆け出すのだ。家までのせいぜい100メートルほどだが、そういう時は足が軽くて、ヒールを履いていようが平気で、呼吸も全然苦しくならなくて、どこまでも走れそうな感じがする。学生時代、私は運動オンチで見るからに動きの遅い文化系女子で、50メートル走があんなに辛かったのに、実際この状態でならどの位のタイムが出るだろうか。
 一昨日、久しぶりに走りたくなって走った。この数年はリウマチを患い、仕事帰りは大抵足が痛くてほうほうのテイで帰宅していたのが、一昨日は調子がよくて、久しぶりに走れた。夕暮れの雪混じりの冷たい空気も感じないほどの爽快な気分を味わった。そういう時は心が小学生に戻っているのを感じる。あの頃とおんなじ。無邪気というか単純な感じではしゃいでいる、文字通りの子供っぽい自分がいて、その子供っぽい自分が好きだ。
 そもそもなんなんだこれは。体が欲する?運動苦手な私が何を?80歳のおばあちゃんになってもこの走りたい欲求が湧くのだろうか。なら愉快だ。これから人生をかけて観察だ。
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2012年01月23日

幾つになっても

 おとうと、なのだなぁと思う。ああやはりとしみじみ。それは年下の、という意味ではなく、肉親なのだと。お正月に弟からメールが届いた。施設に居る父のことに続いて、近々会いたい、『お話したいことがございます』と突然かしこまった結びの一文に、一瞬ぎょっとなった。が、すぐに照れ隠しだと気付き、笑いながら『話したいことがござるの?』なんて返信を打った。こんな風に冗談が言えることが嬉しかった。
 2つ年下の弟とは非常に仲が悪かった。幼い頃は喧嘩ばかりで、中学高校時代は口も聞かなくなっていた。それが大人になり働き出して家を離れ、互いに結婚して家庭を持つようになってみれば、喧嘩の種も憎々しい感情もとっくに消えうせていた。この数年は父の入院や施設のことで相談の必要があったが、それまで関係を築いてこなかった分、向き合うと気恥ずかしいような感じが未だにする。もう仲良しのつもりだが、幼い頃から仲の良い姉妹の話を聞くと別物である。
 例えば、私は自分がどんな仕事をしているかを話していない。結婚後に突然学校へ通いだし、モノになるかも分からなかったから誰にも内緒にしていて、言いそびれてしまった。朗読やナレーション、司会を目指しているなんて、叶わないうちはイタくて、それこそ弟には言えなくて、言えず仕舞い。弟にしても、休みは釣りに行く釣に行くと言ってはいたが、ある時私が何気なく弟の名前を検索したら、ヒットする、ヒットする。珍しい名なので同姓同名の別人は考えにくい。あるサイトを開いたら、釣った魚をぶら下げて表彰台に上がっている写真が。間違いない。弟がやっているのはブラックバス釣りであるが、どこかの団体に所属して、年間に何度も競技会に参加して、ランキングを競ってと、趣味どころではない感じだ。弟は"バスプロ"なのだそうだが、バスプロって何だ?プロというからにはどこからかお金が貰える筈だが、ブラックバスを釣ってお金なんか出るだろうか。疑問なのだが、勝手に検索して知った事だから訊き難い上に、逆に私の名を検索されたら気取ったプロフィール写真を見られてしまうので黙っている。よそ様から見ればまだまだ変な姉弟である。
 『お話したいこと』がずっと気になっていたが、昨夜電話をよこした。内容は弟にとって極めてプライベートな事なので書けないが、確かに重大で弟も慎重に言葉を運んだ。しかし前向きな決断だと私は思ったので「大賛成だよ」。すると「姉ちゃんはそう言ってくれると思ってた」と答えた弟のその言葉が嬉しかった。
 互いにホッと気が抜けて、後は弟が飼っている猫の話になった。馬鹿が付くほど猫好きな私が猫を飼っておらず、さほど好きでもなかった弟が野良の子猫を2匹も保護して育てていることの不思議。大仰だけど、人生もそういうものなんだろう等と受話器を耳に当て、弟の声を聞きながら思った。40過ぎて折り返しに入ったなんて口にしていたが、いろんな事がまだまだこれから。楽しみだ。
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2012年01月20日

閻魔帳

 彼の職場で毎年配られる年間スケジュール帳は私の日記になっている。結婚以来15年続いているものだ。毎日の、まず彼の分は、出勤時間と帰宅時間、その日こなした仕事内容や出来事、体調、昼食等、帰宅後に彼が話した内容と、帰宅後の様子が少し。私の分は、仕事や買い物、振込み、受け取った宅配便。そこに天気と我が家の生き物の特記事項があれば記し、あとは彼とやり取りしたメールの文面を写す。これらを箇条書きにしていて、ページを遡れば、例えば半年前や5年前の今日が一目瞭然、大概の事は思い出せる。日記と言うより事務的で詳細なもので、いつからか私は閻魔帳と呼んでいる。ほらあの、学校で担任の先生が持っていた出席簿に擬えて。
 始業のチャイムが鳴ると先生は紐で綴じた黒い簿冊を抱えてくる。中身はせいぜい出欠記録で、成績等を記録した真の閻魔帳は職員室に厳重に保管されているだろうに、出席簿のことまで閻魔帳と呼んだのは今となっては不思議だ。その厳めしい呼び名は、もう一つの用途の為だったかもしれない。お仕置きである。先生が皆ではなかったが、忘れ物をしたり宿題をやっていない生徒の頭を、閻魔帳でパンっとはたく。何度注意しても直らない常習犯には時に面でなく角でコツンが。懐かしくなて、教師をしている同級生に話したら、「今そんな事したら大問題よ」。体罰。確かにそうかもしれないけれど、閻魔帳でパンっには何かこうユーモラスというかほのぼのしたものがあったと思うのだけれど。そもそも今の小学生は閻魔帳なんて言葉を使うのかしら。先生はまだ閻魔帳を使っているのだろうか。
 私もいっそ閻魔帳をやめてしまおうと思うことがある。日記なんて二日と続かなかった私がつけ始めたのは彼と付き合いだしてからだ。すぐに愛想を尽かされて別れるだろうから、それまで、日々心を動かす出来事を大切に書き留めておこうと思ったのだ。それがこんなにも続いている。もうやめよう、帰宅時間をちまちま書いて何になると考えると、彼が仕事先から電話をかけてきて「先月俺が駅前でタクシーに轢かれそうになったの、あれいつだっけ」と訊く。「ちょっと待ってよ、え〜っと…」ページを捲って、「17日だよ。なんで?」「あの日俺が使った職場のデジカメのデータが…」電話を切り、何気なく先月の記述を辿る。くだんの17日、彼は風邪気味で頭痛いと言いながら出勤したとある。次の日は熱が37.2度になって、それでも書類を残業で仕上げて、翌日はせっかくの休みを私の父の為に費やしてくれて、次の日は職場のパソコンが動かなくなって困ってる。夕方雪がちらついたのもこの日で、帰りにキオスクで私にお土産のチョコレートを買ってくれている。やっぱりやめられない、毎日には悪い事も好い事も大事小事が満ちていて繋がっていて。
  えんま‐ちょう【×閻魔帳】
   1 閻魔王が死者の生前の行為や罪悪を書きつけておくという帳簿。
   2 教師が受け持ちの生徒の成績や出欠などを記入しておく手帳の俗称
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2012年01月19日

今年の私の1.17

 忘れていたわけではない、行きたいのに行けないなぁと逡巡していて連絡しそびれた。すると夕刻、同級生がメールをくれた。
『なおちゃんちに行ってきたよ。お父さんお母さんもお元気だったけど、東北の震災をあの時と重ねてしんどい一年だったことがわかりました。神戸にはこんな人達がたくさんおられるんやね…昨日、Oちゃんが来て、今日はK君、かっちゃん、私で、なんだか寂しく感じました…また来年行けたらいいね。身体に気をつけてね』
 なおちゃんは高校時代、吹奏楽部の同級生だ。敏腕看護師だったが、17年前の阪神淡路大震災で亡くなった。以来、ご両親のご好意で、同級生達は毎年、1/17に近い日曜日にお参りに行かせて頂いている。その日はなおちゃんちの出入り自由、お母さんが御馳走を並べ、お父さんは缶ビールをテーブルに山と積んで迎えてくれる。同級生が何人も、家族も連れて集まってさながら新年会のようであったが、神戸を離れて暮らす友も多く、このところ人数が減ってきていた。私は昨年仕事で行けなかった。そして今年のお参り日1/15も。いかんいかん。あれこれ考えていたが、1/17その日、私はスクーターでなおちゃんちを目指した。なおちゃんはお菓子が好きだったから美味しそうな焼き菓子を買って、熨斗とかそういう畏まったものはなし。30分強の道程を走り出した。なおちゃんちまでは六甲山を越えた向こう側で、寒いのを覚悟して出たのに、お昼前の神戸は風もなく穏やかに晴れていた。走りながら考えていた。なおちゃんには悪いけど、これはご両親の為だ。なおちゃんがいなくても私は17年恙なく生きてこられた。なおちゃんがいなくても私は困らない。けれど残されたお父さんお母さんの寂しさがほんの少しでも和らぐのなら偽善だっていい、いや偽善だ。分かっているけど伝えたい、私はなおちゃんを忘れていません、お参りに顔を出せない皆も忘れた訳ではないのです。
 なおちゃんちは留守だった。それも想定内。電話を入れずに来たのだ。手帳を破って短い手紙を書き、玄関扉にお菓子袋を掛けて辞した。来た道を戻りながら、肩の力が抜けたのを感じた。やっぱり偽善だ、これは自分自身の為だった。だって私は、留守宅の玄関の前を立ち去る前に、家の中の入ってすぐ右、仏間へ向かって呟いていた。「なおちゃん、これで気が済んだ。また来年来るね」また一年が始まる。私にとってなおちゃんがどんな存在なのかがずっと分からないでいる。
 その日の夕方のニュースでは、神戸市役所傍の公園で毎年行われる追悼イベントの様子が流れた。例年1/17は風があって厳しい寒さが参加者を辛くする気候なのに、今年は比較的穏やかで温かい冬日だったと報じていた。どうか大切な人を亡くした人達にとって、年月と共に少しずつ少しずつでも穏やかな日になっていきますように。
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2012年01月04日

菊花蕪

 このお正月は少しだけお節料理を作った。舅の好きな煮しめだけ。十年前、姑が亡くなった直後は、彼と二人で意地のようにお節を作った。3年ほどそんなことを続けたが、彼の勤務、私のイベント司会が入るようになり止めた。お正月だからといって特別な事をしなくていいと思うようになっていた。それが今年は大晦日と三が日ぐらいは休みが取れることになり、少しだけ復活させた。人参は金時でなく普通のでよい。蓮根、牛蒡、筍、里芋、椎茸、高野豆腐、それに夫の実家は厚揚げを炊く。舅は小ぶりな一口を好む。軟らかく、しっかりと味が浸みていなければならない。味付けは濃い目だったが、昨年透析を受け始めてからめっきり薄味好みになっている。しかし戻した干し椎茸は甘く濃く炊くのが姑の流儀だ。出来上がった椎茸を決まって入れたガラスの器を懐かしく思い出した。あとは紅白蒲鉾と出汁巻と数の子。舅はこれで満足な人だ。彼には焼き豚と雲丹烏賊の和え物を足した。
 大晦日、煮しめをお弁当箱に詰め、年越し蕎麦の材料を持って実家へ向かう車中、彼が「キミのお父さんにも煮しめを持っていこうよ」と言う。「ううん要らない、煮しめ嫌いだもの」「せっかくだから形だけでも」「どうせ食べないよ」「分からないよ」「文句言われたくない」「どんな?」「切り方が雑だとか詰め方が汚いとか」「・・ふーんじゃあいい」「だって」「もういい」半ば喧嘩みたいに話は終わった。でも確かに、舅と父では全然違うのだ。
 大きな聖護院蕪の皮を厚めに剥き、3センチ立方に切り、ミリ単位の格子の切込みを入れていく。その手元を私に見せながら、父は「底まで切ってしまったら失敗や、ギリギリのところで止めるんや」と言う。「難しいね」「簡単や。これが菊の花みたいに開くんや、酢に浸けとくとな。真ん中には鷹の爪の輪切りを飾る。綺麗やろ」酢の物を好んだ父は、他にも紅白膾や叩き牛蒡も作ってくれた。私が小中学生の頃だ。「お前は女の子だから、こうして見せとかんとな」と言って父は、特にお正月になると面倒なのを堪えて腕を振るった。京都出身の父の雑煮は白味噌仕立て。山陰出身の母の習慣をあしざまに言うのは嫌だったが、それだけ父は京風が自慢だったのだろう。社会人になって神戸に来て、水に中り、一週間お腹を壊した話や、結婚間もなく母を連れて京の豆腐をわざわざ買いに行った話を何度も聞かされた。もっとも豆腐は揺れる車で運ぶうちポリバケツの中でぼろぼろに崩れてしまったらしいが。幼い頃に両親と別れ、祖母に育てられた父にとり、京都は決して良い土地ではなかった筈だ。事実、父自身も嫌いだと言っていた。それでも父を形作った全てなのだろう。冬になると蕪を買ってきては漬け物を作るのを楽しみにしていた。千枚漬けである。ホクホク顔で昆布を刻んでいた。
 父が特に情熱を傾けたのが漬け物だった。材料を替え、浅漬け、糠漬け、粕漬け、あらゆる漬け物を自作した。なぜなら父は大のお茶漬け好きで、毎朝御飯はお茶漬け2杯と決まっていたからだ。だから、私が大人になり、「ぶぶ漬けいかがどすか」と勧められたらそれは『そろそろ帰ってくれませんか』を意味するというのが京都の作法だと知って、驚いた。危なかった。お茶漬けを勧められれば「頂きます!」と即答してしまうところであった。なぜこんな風習があるのかと問う私に、父は「さあ分からんけど・・京都人は腹黒いて言われるのはそこやろな」。「ええっそうなの?!」もひとつ驚いた。以来、京都人=父=腹黒い、という公式が驚きと共に頭にこびりついてしまって、父が何かをくさす度浮き上がる。父の物言いがとても嫌だと思う時がある。どうしてそんな嫌味な、と。そして私にも似た所があるのだと思われ、凹む。私=ハーフ京都人=若干腹黒い筈という公式もセットになっているのだ。
 元旦は彼の実家で舅に澄し汁の雑煮を作り、二日は父を訪ねた。面会の域を出ない訪問が寂しくもあるが、父はすこぶる元気そうで穏やかで安心だ。又ねと言い、50メートルほど先のエレベーターホールへ歩き去る父を見送る。父は10メートル毎に振り返り、手を振り、私も振り替えし、エレベーター前まで行くと、もう帰れとハンドサインを変えた。私は頷いて踵を返した。そこには彼が待っていてくれた。帰りの車の中で、私は彼に話した。「今、手を振ってて思い出したんだけどね・・」京都の大学に決まり下宿を始めたものの、寂しくて私は毎週金曜日に神戸へ帰り、日曜の夜に京都へ戻る時はいつも半泣きだった。家を出てバス停へ向かう私を、父は4階のベランダから見ていてくれた。バスに乗り、後部座席の窓から見上げる父が小さくなっていく光景を久しぶりに思い出していた。
 環境も状況もすっかり変わってしまったように感じていたが、私は相変わらず同じことをし続けているのかもしれない。いやいつかのあの日に返っていく、そんな側面があるのかもしれない。ともかくも新しい一年が始まった。
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2011年12月28日

心を籠める

 駅前のコンビニに"行ってらっしゃいの達人"がいる。朝、彼がヘルメットを脱いで改札へ消えてしまった後に時々よるのだが、その店員さんは20代前半の女性。長い髪を後ろでまとめた、すっきりとした美人だ。レジで会計の済んだ客を「行ってらっしゃい」と送るのはマニュアルのようだが、その女性の「行ってらっしゃい」は、初めて聞いた時、はっとなった。なんかこう味噌汁くさい感じ、そう、おばあちゃんに送られている感じ、だ。下町のさばけた初老のオカンの味。なつかしくてあったかい。彼女にはそういうお祖母様がいるのだろうと勝手に思っている。
 挨拶は基本だと、アナウンススクールに入ってまず教えられた。なるほど大事だろうが、いわゆる業界の「おはようございます」に馴染むには時間が掛かった。何時であろうとその日初めて会ったら「おはようございます」。これが夕方に出ないだな、なかなか。随分かかって身に付いたが違和感は残っていた。それが先日少し飲み下せた。TVで某俳優さんが私と同じ違和感を打ち明けたところ、別の俳優さんが「こんにちはもこんばんはも丁寧語とは言いがたい、おはようございますだけが"ます"と結ぶ丁寧語・敬語だから使われるようになったらしいよ」と。
 子供の時、親戚宅を訪れ、玄関先でモジモジしていて父に叱られた。「ちゃんと挨拶せんか」と頭を小突かれた。それほど引っ込み思案の人見知りだったから今でも気恥ずかしい。先日帰宅するとお隣の初老の奥さんが家の前におられ、私を見て「おかえりなさい」と言って下さった。考えてみると子供の時から父子家庭で育ち、鍵っ子だった私はおかえりと迎えて貰う機会が少なかったからか、とても戸惑ってしまい、返事に困る。「ただいま」はちょっと馴れ馴れしい様な気がして、だけどこれに代わる言葉が浮かばない。しかし「おかえり」はあったかくて嬉しかったから、とりあえずそのままに「ありがとうございます」と笑顔を返した。
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2011年12月25日

笑む狸

 年相応の贅肉で腰周りを武装している私を彼は「ぽっちゃりさん」「ぽんぽこ」と呼ぶ。結婚15年の古女房はもはや古狸である。そんな彼が。
 私が先週ネットで買ったコートが届いた。サイズの確認に羽織り、彼に向かって、「ねえこれ1万円のが半額で4900円だったのよ」。すると彼は少しの間の後、「いいんじゃない、前から持ってたみたいだ。キミは、襟の大きいのが似合うね、ウェディングドレスもそうだった」と真顔で言った。「そう?」と答えて私は顔を背けてコートを片付けた。照れ臭かったから。急いで夕拵えに立った。
 5年前から私は披露宴司会になり、292人の花嫁を見たが、私が着たようなウェディングドレスは見たことがない。まず長袖であること。ふんわりとしたシフォンの袖が手首できゅっと絞られる。何より、大きな襟。デコルテは広く開き、肩ごと包むような大きな襟が。レースなどは一切なく光沢のある生地で、ウェストから下は中のパニエに支えられて膨らみ広がっていた。確かに美しい形だった。本当はもう少しレースやリボンが付いたものと迷ってみたかったが、試着に付いて来てくれた彼が3着目のそのドレスを強く推したのだった。
 まだウェディングドレス姿を覚えていてくれたんだ。そのことが思われて、昨日新しいコートで出かけた私は、襟に飾られた顔を緩ませていた。
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2011年12月15日

16歳だった私へ

 夜の8時か9時ぐらい、スクーターで彼を迎えに行き、駅からは彼が運転しての帰り道。同じく家路を急ぐ勤め人や犬の散歩、ウォーキングのご夫婦、そして時々、高校の制服を着た男の子女の子が手を繋いで歩いているのに行き違う。私もああして歩いたことがあったなと、過ぎざま、うつむき加減の女の子の表情を窺う。手は繋がなかったけれど。
 クラブ活動を終えて帰りの電車を降りるのはすっかり暗くなってからだった。ホームを改札へ歩きながら、同じ電車から降りた人達を確かめる。育ったのは山あいの狭い町だったから必ず誰か顔見知りがいる。会いたい人も、顔を合わせたくない人も。別々の高校へ電車通学になったばかりの1年生は特に中学の同級生がいやしないかと気にしたのではないだろうか。前を歩く元同級生が振り返る視線とよくぶつかった。私はいつもある背中を探した。中学の時の片思いの相手。クラブも一緒で仲が良かったけど、相手には他に好きな女の子がいて、私はいつも応援していた。ヤツの一番の味方でありたかった。
 違う高校に進んだ私達は、数ヶ月に1度程帰りの電車が一緒になった。改札で追いついて声をかけ歩き出す。もう片思いは過去のもののつもりだったが、それでも胸は高鳴った。その妙な気持ちを持て余しながら、わざと陽気に近況を訊く。ところがヤツはむすっとした感じで口も重い。慣れっこだ、ちょいとナイーブなヤツなんだ、この"むすっ"は私、いやヤツにとって私は男友達"俺"、そう俺に対するポーズなのだ。分かってるさお前らしいよ構わないさ。けれどかすかに胸が痛みもした、たまには機嫌の好い顔を見せてくれないかな私に、と。通り過ぎる車のヘッドライトに照らされて、ふと考えたのを覚えている。私達はどう映るのか、恋人同士に見えるだろうか、中学時代はこの人と将来結婚したいと心底願っていたのにな。それぞれに新しい世界が築かれて、徐々に離れていくのだ。事実私達は高校を卒業して音信不通となった。
 数ヶ月に1度なのだから、夏場の夜もあった筈なのに、何故か寒い季節だった印象が強い。会話の切れ目に見上げた空には月や星が冴えていた。ちょうど今時分の思い出として薄れゆく、筈だった。今、ヤツの背中は目の前、私の腕の中にある。それぞれのステージの登場人物として復活したきっかけは、その後突然彼がくれた年賀状。あ、そろそろ年賀状書かなきゃ。毎年クリスマス過ぎて必死で宛名書き。今年こそ早めにと思うのだけれど今年も、かな。
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2011年12月09日

備忘録

 忘れたくないから。
 昨日の朝、テーブルの上に小さなレジ袋が置かれていて、中を覗くと、クッキー一枚、チョコボール、飴数粒、栗饅頭一個、マドレーヌ一個が。彼のおみやげだ。前日職場から持ち帰り、出し忘れていたのを、朝出勤準備で鞄を開けて取り出したのだろう。
 いつもこうやって、職場で配られた菓子類や、お弁当に付いていて使わなかったふりかけなんかを持ち帰ってくれる。彼は、勿論美味しいものも食べることも好きだけど、食べ物に対する執着がない。私が喜ぶだろうと考え、自分では口をつけない。
 さて彼が出勤後、インスタントコーヒーを入れてテーブルに着き、袋の中身を広げる。その時になり、気付く。小さなレジ袋は、ベージュ色の地にモスグリーンで英字新聞みたいなプリントがされた、ちょっとお洒落なものだ。彼には母親譲りの几帳面さがあり、普段からコンビニで買い物した後のレジ袋を畳んでとっておき、数枚ずつ鞄や机に常備している。その中から選んで、この英字プリントのミニ袋なのだということ。
posted by おやつかいじゅう at 17:59| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

ツリーを飾りながら

 彼の実家のご近所に、毎年垣根のイルミネーションが綺麗なお宅があって、私達は土地柄、季節柄『ひとりルミナリエ』と呼び、楽しませて頂いていた。ルミナリエは我が街の冬の風物詩、イルミネーションイベントである。17年前の震災後から鎮魂の為に始まったのだが、今年は節電にLEDを使っており、光り具合が違うとか。そして『ひとりルミナリエ』のほうも例年より控え目に感じられる。やはり節電を考慮されたのだろう。こんなふうに電飾をする一般のご家庭を見かけるようになったのは何年くらい前からだろうか。昨夜、彼と駅からの帰り道、いつもの住宅街にクリスマスツリーが出現した。あるお宅のお庭の2メートルほどの高さの木に、赤青緑の電飾が瞬いていた。
 私達が新婚旅行に出かけたのは15年前の12/2、新神戸のクリスマスツリーに送られ、ドイツからオーストリアへ1週間。旅先の駅もホテルのロビーも広場も、どこへ行ってもツリーが飾られていて、さながらツリーを巡る旅だった。ヨーロッパの本場のクリスマスは圧巻だったが、今は日本でも駅前広場には当たり前にツリーが飾られ、なかなかどうして美しい。初めて日本にクリスマスツリーが登場したのは、1886(明治19)年の今日、横浜で外国人船員の為に飾られたらしい。そこから、今日12/7は『クリスマスツリーの日』なのだそうな。
 クリスマスは目だけでなく耳でもずい分味わっていると思う。スーパーで買い物してても聞こえてくるのはクリスマスソング、定番のあの曲この曲。私が一番馴染みがあるのは『ホワイトクリスマス』。以前書いたことがあるが、子供の頃、父に褒められたい一心でレコードを繰り返しかけ、英語の歌詞を覚えたのだった。動機はどうあれ歌いたいと思う人は多いらしく、毎年この時期になると、「ホワイトクリスマス、カタカナ歌詞」で検索し、私の過去記事に辿り着く方が後を絶たない。しかし私はカタカナ歌詞を書いていないから、皆さんがっかりして戻られるのだろう。
 これだけ世界的な名曲に日本語訳がないのは、リメンバー・パールハーバーにあるらしい。『ホワイトクリスマス』は、1942年の映画『Holiday Inn』の主題歌として広まった歌だが、作詞作曲のアーヴィング・バーリンの身内が真珠湾攻撃で亡くなっていることから、日本語で歌うなとの遺言がなされている為だ。こんなところにも戦争が影を落としている。明日12/8は真珠湾攻撃の日。
 意味も分からず音だけで覚えたクリスマスソングだったが、大人になり歌詞の意味を知った時、目が潤んだ。平和の情景がそこには溢れていた。クリスマスツリーを家族で飾った幼い日の思い出が。
 
日本語では歌いません、今年はおやつかいじゅう訳をお許し下さい。

I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten and children listen
To hear sleigh bells in the snow.

I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white.

私が思い描くのは、いつかの真っ白な雪のクリスマス
梢はきらきら輝いていて、子供達は雪を蹴る橇の鈴の音に耳を澄ました

私はクリスマスカードを書きながら、雪のクリスマスを夢見る
どのカードにもこう書きながら。
"あなたの日々が晴れやかで幸福でありますように
そしてクリスマスに雪が積もりますように(笑”
posted by おやつかいじゅう at 12:30| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

水晶、そして磁器へ

 11月最終週に。「急に寒くなったなんて驚いてるけど、考えたら当たり前よ、あと何日かで12月になる。12/1に雪が降ったこともあるじゃない」「そうだっけ」「ほら私達の結婚式の夜!」披露宴の後、彼の同期と居酒屋へ行って、お披楽喜で店の外へでてみれば、午後10時、空気はきんと冷え、空から白いものがちらちらと舞い降りていた。あれから15年になる。
 今年も師走の声を聞いた途端、気温がぐっと下がった。象牙以上水晶未満だった夫婦もこの日水晶婚式を迎えることが出来た。水晶婚は、透明で曇りのない水晶のような信頼、か。どうだろう。先日、4年前に自分が書いたものを読んだが、今と何ら変わらないように思えた。変わらず在りたいというのは私の最大の望みだが、成長もないということだ。相変わらず迷惑を掛けている私に未だ愛想を尽かさない彼という構図。
 特別な事をするつもりはなくて、夕食の時間が遅いので、あっさり目に彼の好きな海老のメニューを用意して待つ。秋の部内異動で仕事に追われる彼は案の定結婚記念日を忘れていたが、私は嫌でなく、むしろこの状態が好きだ。
 でも今日は特別な試みがあるんだよと、ハンドクリームと湿布を持ってきた。数ヶ月前から彼は右踵の裏に痛みを訴えていた。症状から足底腱膜炎らしい。足の筋肉の衰えから小さな断裂が起こすというもので、酷い日には歩くのも辛いほどだ。底で私は考えた。これから毎晩、寝る前に足の裏をクリームでマッサージしてほぐし、踵に湿布を貼って寝る。これを続ければ治るんじゃないか。さて初日、うつ伏せの彼の足裏を揉み、湿布して寝た。翌朝、彼が「いつもより痛いよ」と笑う。あれ、あれれ、あれあれあれ、こんな筈では・・・マッサージが良くなかったんだろうか。申し訳ないのだが、何故か笑いがこみ上げてきた。「ごめんね、今夜はやり方を変えてみる!」「触らない方がいいんじゃないかな」「いやいや諦めないよ」「・・・」可笑しかったのは、私らしいなあって思えたから。良かれと思ったことが裏目に出る。でも、この試み、もうちょっとトライしたい。私がアナタの踵を治したい。付き合ってね。
 結婚して15年までは毎年記念日に"○○婚式"と名前が付くのに、15年の水晶婚式のあとは20年の磁器婚式、25年の銀婚式まで飛ぶ。15年も持ち堪えたなら今度は5年ぐらい頑張れるだろうと言うことかもしれないが、打ち上げ後に燃料ロケットを切り離されたような心細さを感じる。5年後、私達はどうなっているだろうか。どうか一緒にいられますように、出来ればずっと・・・と結婚式の日と全く同じ事をやっぱり考えている。
posted by おやつかいじゅう at 19:25| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

嘘から出た実

 うっかり口を滑らせてしまった。マグカップの絵柄のことを。
 彼が休みの朝には、彼にミルクティ、自分にはコーヒーを淹れる。元々彼は朝のお茶を飲む習慣がなかったのだが、がぶ飲みコーヒー派の私が自分の分だけ淹れるのは落ち着かず、さりとてコーヒーが体に合わない彼に、ならば「ミルクティ飲まない?」と誘った。初めは「じゃ貰おうかな」「俺はいいや」と一勝一敗一分的な反応だったが、やがて習慣となり、今やミルクティを彼は休みの朝ののどかさとして味わっている風だ。安いティバッグを濃い目に出し、牛乳と砂糖をたっぷり、そんな紅茶に口を付け「美味しい」と、湯気に頬を撫でられている。
 こちらも嬉しくなって、お揃いのカップなんぞ使ってみたくなる。水屋をかき回し、数年前に買ったままの『トトロ』の大振りのマグカップを出してきた。2つあって絵柄が違う。宮崎駿さんのイラストで、黄色い小さな草花が描かれたものと大きなクヌギの葉達にドングリ、葉は少し紅葉している。葉っぱの色合いが私は好きで気に入っている。だからこちらを彼に充てていた。
 それをつい話してしまった。当然彼は「なあんだ、それならキミが使えよ、俺はどっちだっていいんだから」と笑う。「ううん葉っぱはアナタのなの」「いいよ」「アナタに使って欲しいの」「キミが使えよ」違うの、そうじゃなくて・・「あっほら、アナタが使わないとせっかくの絵が見られないじゃない、自分で持って飲んでるとさ。アナタが使うと見えるけど」すると彼が、まじまじと私の顔を見て「面白いことを言うね」。ほんとだね。我知らず口を衝いて出た方便だったが、本当にそうだ。
 結婚披露宴で伺ったある方の祝辞を思い出した。愛の形について。愛には二つある。一つは無償の愛、見返りを求めない愛情。これは親から子へのもので、夫婦の愛は、ギブアンドテイクの愛。互いに思い合わなくては成り立たない。
 相手を思ったつもりが自分を潤す。これもギブアンドテイクかとカップを両手で包みこんだ。
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2011年11月16日

象牙以上水晶未満のG

 美容院で雑誌を開いていた私が「ひえっ」と言ったものだから、傍にいた20歳そこそこの店員さんが「なんです?」。紙面には【お金が貯まらない人・恋人が出来ない人・部屋が片付けられない人】等を見分ける質問項目が載っていた。私の「ひえっ」は【友達が出来ない人】の10の質問項目の3つ以上アウトに対して、7つも当てはまったからだった。歩くのが早いとか、大皿盛りより個食を好むとか、休み時間に友達と一緒にトイレに行かないとかを店員さんとあーだこーだ話していたのだが、その中の"友達が食べてる物に「それひと口ちょうだい」が言えない"には、「友達どころか結婚15年近い夫にだって言えないのよ」と笑ってみせた。
 前夜、私の帰りが午後11時を過ぎ、夕食をコンビニで調達した。私は太麺焼きソバ、彼はおむすびセットとチャンポン麺。焼きソバはなかなかいけた。彼のチャンポン麺はどんなかな・・。気にはなったが黙っていた。すると彼が器を私へ押した。「こっちもちょっと食べてご覧」「うんっ私の焼きソバも食べて」
 私のリウマチが夏前から少しアクティブで手首が痛むので、洗髪を彼がしてくれている。嬉しくも申し訳ない。だから時々は「今日は洗わなくて良いから」と静かに湯船に浸かっていた。が、彼が立ち去った後、そろりと湯を出て髪を濡らし、シャンプーを付けた。その時、ばっと扉が開いて、袖捲り、裾捲りした彼が入ってきた。「なんで分かったの?静かにしてたのに」「静かだからバレるんだよ。はい、いつものように耳を押えてなさい」
 駅前でスクーターを停めて彼の電車が着くのを待っていた。やがて改札の方から歩いてきた彼は、けれどヘルメットは被らず、私を駅前の靴屋さんへと連れて行く。「見て欲しいものがある」店頭で彼が指差したのは、私が普段履きにしている革靴っぽいサンダルの類似品である。「今履いてるのボロボロだろ、替りを探してたら良さそうなのが2つあって迷ったから、自分で選んで貰おうと思って」一体いつの間にチェックしてくれていたのだろう。なるほど彼が迷うのも頷ける、どっちも私好み(笑。私も少し迷って「こっちがいい」と言うと、「やっぱりな。今後はもう俺が決めても大丈夫だな」と自分の選択眼に自信を深めている。少し前までは彼の選んでくれるものは私の好みに遠からずとも当たらずなところがあったが、近頃はほぼど真ん中にくる。もう敵わない。
 買って貰った靴の袋を提げて店を出れば、駅前はクリスマスイルミネーションがキラキラ輝いていた。そして私は進歩がない。まもなく結婚15年になるのに来月の彼へのクリスマスプレゼントが全く思いつかない。サンタさん、彼が喜ぶ品を教えて下さい。
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2011年11月15日

夫婦の会話〜譲れない編

 10月某日夕刻、メールにて。
私「おつかれさま。そちらはどう?こちらは仕事終わって今帰りの電車です」
彼「おつかれさん、おかえり。仕事捗らず、もう少しかかります」
私「おつかれさんさん。先に帰ってます。隣の50代母と20代娘の会話。『ベムベラ、あと何や?』『知らん』『ベムベラ・・』『・・』『ベムベラ・・』『ベロや!』『早く人間になりたいねん、ええ妖怪なんや。で、ベロが鈴木福くんかいな』延々ゆるい会話。ところでべム、TOKIO松岡君はどう?」
 それは『妖怪人間』実写版第一話放送日、べムは亀梨君、ベラは杏さんが演じる。
彼「おつかれさんさんさん。ただいま、今電車に乗りました。妖怪人間の話は、自分ならべム役は大滝のごろぞうさんを選択します」
 ごろぞうさんとは『鬼平犯科帳』内の役名で綿引勝彦さんのことである。キャスティング話が彼の何かに火をつけてしまった様で・・
私「おかえりなさい。雨降っててスクーターでお迎え無理かも」
彼「つづき・・そしてベラ役に浅野温子か大地真央、ベロ役にネゴシックスか猫ヒロシで」
私「いやさ、大滝のも大地真央も分かるけど、つまりね、もうちょっと若返らせたいのよぉ。我々がTVで見ておっさんやと思ってたけどべムもベラも35歳前後、ベロは8歳か9歳か。若いので考えてみてよ」
彼「ダメ。自分は逆に全年齢を上げたいくらい。あのドラマは暗くて"渋み"が要るんだって」
私「雨止まないね」
彼「バスで帰ります」
 20分後、帰宅するなり玄関で「俺のキャスティング、いいだろ」と彼。「・・べムベラは譲るとして、ベロは嫌よ、私にとって特別なんだから、ほら前にも言ったでしょ」ちょうど私達が妖怪人間のアニメを見ていたのが小学生の頃で、私が好きだったO君はベロに激似激だったのだ。「中年のお笑いなんてありえない、絶対に子供でなきゃ、そうねぇ・・・ハーレイ・ジョエル・オスメント君なら」「ハリウッド版にするのずるいぞ、それやったら・・・」そんな事を話してる間にTVでは『妖怪人間』実写版が始まった。キャスティング話は益々ヒートアップ、流れはハリウッド版に傾いて・・・
私「ベロはダニエル・クレイグ、ほら現ジェームス・ボンド役の!顔も年も体格もピッタシ。で、ベラは、キャメロン・ディアスに黒髪のヅラを被らせるか、アンジェリーナ・ジョリー」
彼「アンジェリーナ・ジョリー、いいね、鞭も使えそう!」
私「そうそう鞭が武器だったね、"ベラの鞭は痛いよ"って言ってたっけ」
彼「ああ、なんかもうダニエル・クレイグがベロに見えてきた」
私「でしょ!」
 パートナーが同級生だとこういう話が早い。しかし今もってベロ役は決まっていない。
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2011年11月09日

セカンドラヴ

 結婚は二番目に好きな人とするのがいい、という説を何度か耳にし、その度に私は打ち消してきた。この人は二番目だと思った時点で、その人に失礼過ぎるだろう。第一、一番好きな人がいいに決まっている、なんたって一番好きなんだから。
 思春期には恋愛こそ人生の一大事と考え、柱の影から片思いの君を薮睨みに盗み見し、少女漫画に胸を痛めていたような視野の狭い私には、到底受け入れがたい説であった。幸か不幸か恋愛経験の乏しい私には、片思いは数え切れず、叶った両思いは今の彼しかいない。そもそも、二番目をどう数えるのか。好きの度合い?出会った順?付き合った順?未だに判らない。
 けれど、未熟なままに年齢を重ねてきた私なりに、思い当たる事がある。それは、人ではなく、物。二番目に好きなもの。
 披露宴司会の仕事を始める時に、仕事用にアンサンブルスーツを買った。一つは物凄く気に入って思い切って買ったブランドスーツ、もう一つはデパートのバーゲンで妥協した激安スーツ。とりあえず二着を着回していたが、いつの間にか激安のほうに着心地好さを感じていた。その後も、迷って2枚買ったスカートの次点だったほうばかり穿くようになったり。それからマグカップ。毎朝コーヒーをがぶ飲みするカップが幾つか在るのだが、一目惚れして入手したものだけでなく、ある朝ふと手に取った頂き物のカップがなんとなく手や口に馴染んで使い続けていたりする。これっていわゆる"二番目の"なのかもしれない、なんて思う。何かが分かりそうな気がしてくる。 
 ただ、例え一時でもお気に入りになっている限り二番目はその時のマイベストだ。だから、やっぱり私には分からないのであった。一体どういうことを言わんとした言葉なのだろう、二番目に好きな人って。
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2011年11月08日

接触

 うまく伝えられるかしら。
 5日前の真夜中、午前3時半頃、インターホンが鳴った。1階の和室で眠っていた私は隣の彼に「ねえ、今、鳴ったよね」「ああ」。時間が時間である。気になる。起きて、居間のインターホンの受話器を見ると、確かに誰かが押したらしく外を映すカメラが起動していたが人影はない。彼が外を見たが誰もいない。いぶかしみながら布団に戻った。
 次の夜7時に同様に鳴った。独り家にいた私はすぐにインターホンのカメラを見たが誰も映っていない。傘をバット代りに握り締めて門まで出たが居るのは私だけである。そしてその夜の午前2時20分、鳴った途端に彼が布団を跳ね除けて玄関を飛び出した。その早いこと。それまで寝ていたとは思えない早さだ。それでも誰もいない。「俺があのタイミングで出たら、走って逃げる足音ぐらい聞こえる筈だが」そういえば近頃、家の周りをトラ猫がうろうろしている。猫が門脇の壁を上がる時に足で蹴るのかしら。改めてインターホンを見つめるが可能性はなさそうだ。何だろう。気味が悪いを通り越して、私達は少し苛立ちを覚え、同時に私はわずかに面白みを感じていた。
 また次の夜、今度は午後10時半に鳴った。今夜はやけに早いぞと顔を見合わせ、二人で玄関へ走った。やはり姿も足音もない。隠れていないかと、彼は我が家を含む10軒ばかりの街区を裏側へ走っていった。その間、私は門の外でインターホンを見つめ、周りの気配に耳を欹てていた。ぐるりと回ってきた彼が「誰も居ないと思う」。「じゃあインターホンの接触不良かな」「そうだな、それしか・・」
 家へ入ってTVの続きを見ながら、考えてしまう。もしかして、この世のものでないもの・・・見知らぬ霊でなく・・・。その時、彼が口を開いた。「多分接触不良だな」私は一先ず同意しておく。「そうだね」「接触不良だとして、で、誰だろう押しているのは」何だそのヘンテコな思考は。結局同じ事を考えているんだと可笑しくて堪らない。「私はね、あなたのお父さんの生霊を考えた、寂しくてここへ来ちゃって。生霊っていうのは本人の自覚なく出てしまうらしいの。ほらお父さんすごい弱虫のあかんたれなトコあるでしょ、最近私達が顔を出せてないから心細くなって」「そうかもな」
 以後、インターホンは鳴っていない。
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2011年10月25日

父は今

 相手がアメリカ大統領だろうと国連議長だろうと平気だけど、君のお父さんは怖い。結婚する前に彼が言った、その雷親父が今、シュークリームにかぶりつき、膝の上にべっとりとクリームをこぼした。私はポーチからティッシュを出して拭き取りながら、父が遠くなったような気がする。もう腹が立たない自分が寂しい。私の作業が終わると父はおやつを再開する。今度は少しだけ注意深く口元へ運び、反対の手に持った缶コーヒーをすする。熱いからとハンカチに包んだ缶の飲み口に唇を付ける時、僅かに気持ち悪そうにする。飲み口は最初にハンカチで拭っているのに、それでも。昔からそう。いや昔はもっと酷い潔癖症で・・・その時、父のシャツの胸元が目に入って、笑ってしまう。「お父さん何その滲み」「ん、何や」「ちゃんと洗濯してる?」「ああ」「ほんとに?」「ああしてる」せっかちな父はシュークリームを食べ終えた途端に雑誌を開いた。私が持参した月刊誌だ。「ちょっとお父さん」「いや早く読みたくてな」「じゃあもう帰るから部屋でゆっくり読んで」「いつもすまんな」そう言って談話室のテーブルを離れる。「また、ね」いつも静かだ。時折職員さんが通るだけ。入所者のエリアは上階にある。ひっそりとした廊下を、父は奥へ、私は玄関へと歩き出し、立ち止まる。小柄で丸みのある背中を見つめる。珍しく振り返らないなと思ったら、やっぱり振り向いて手を振った。私も応じ、今度こそ見届けてから施設を出る。顔を見るまでは怖くて、会うと辛くて、だけど安堵して自分の日常へ帰る。
 父の認知症はごく軽いものだが独りは難しく、数年前から施設で暮らしている。生来の神経質が災いし、4人部屋では問題行動を起こした。昨春から今の個室の施設へ移ったところ、穏やかになり、頬の血色もいい。しかしすっかり鈍くなった。施設までは交通の便が不自由で、物理的にも心理的にも隔たりを感じていた。
 昨夕、流しで牛蒡を剥いた。最近パック入りのささがき状の牛蒡を使っていたが、久しぶりに土のついたものを買った。牛蒡はアクが強いから、早めに水に浸けておかねば。包丁で皮をこそげ、乱切りにしてボールに水を張る。全部父が教えてくれたことだ。父がして見せた手順を私は辿る。下拵えを済ませた牛蒡をことことと煮る。今夜は厚揚げと甘辛に炊く。父は牛蒡を私の好きな酢の物にもしてくれた。合わせ酢に浸け、擂り鉢であたった白胡麻をたっぷりと振って。
 彼と食卓に着き、牛蒡に箸を伸ばした。土の香りを頬張りながら、私は思った。あのチャキチャキした父はもういないけれど、私の体内には父から受けたものが確かに息づいているのだ。
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2011年10月24日

秋の庭

キリギリス.jpg 出勤する彼を駅で見送り、帰ってくると、門扉のてっぺんにバッタがいた。5センチほどの、美しい黄緑色のシャープなフォルムと、そもそもそこに存在していることに釘付けになる。地上から1.2メートルの高さまで登ってきたのか。それにしては動きが鈍い。私が顔を近付け、携帯カメラを構える間に、後ろ足を一本動かしただけだ。寒さのせいか。シャッターを押した後、せめて土の上にと玄関脇の南天の根元へ降ろした。写真は『ばったさんです』と題し、昆虫好きな彼にメールで送っておいた。
 夕暮れ、彼からの帰るメールに「朝は写真をありがとう(あれはキリギリスだよ^^;)」。知らんかった・・。だってそんなの分かんないよ、どこが違うのと、帰宅した彼に訊くと。「バッタはわりと大きな可愛い目をしてる、キリギリスは目は点みたいに小さくて怖いんだ」なるほど確かに小さい赤目だった。キリギリスといえば『蟻とキリギリス』、怠け者のような不名誉なイメージが浮かぶが、実際は自然界にそんなふとどき者はいない筈だ。
 それから二日後の朝、門扉の下にカマキリがいた。枯れかけた草のような寂び色の。うちの門はなんなんだ。やはり動きが鈍い。こんな所に居ては踏まれてしまう。彼に相談し、庭に放すことにした。素手は怖くて、バイク用のグローブをしてカマキリを掬った。カマキリは微かに拒絶を表したが、運ばれるままに庭の雑草へ移された。斜めにぶら下がったままなので心配だったが、2時間後にはいなくなっていた。
 気掛かりで、けれど知るのが怖かった事を、私は彼に切り出した。「ねえ、キリギリスやカマキリは」そこまで言っただけで彼は答えてくれた。「冬は越せないよ」
 朝晩は冷えるようになった。日に日に寒くなっていく。季節が進むのは心細い思いのすることだけれど、バッタの目が可愛いと言う彼と秋を生き、この冬も心丈夫に迎えられる。
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2011年10月19日

ごぶさたしています

 只今ネットカフェにおります。この文章を打つのに何分か掛った。キーボードのキーの配置がうちのPCと違う。デリートキーの場所があさっての所にあって、とんちんかんを繰り返している。馴染むとは凄いことだ。
 十月の最初の金曜日からだ。インターネットが繋がり難くなって、5日後には繋がらなくなった。不案内なりに設定を調べたり、プロバイダーのサポートへ電話をかけ、あとはモデムの交換かというところである。
 折しも秋のブライダルシーズンで司会の仕事も忙しく、ネット出来ないストレスが紛れていたが、今日はコープさんの戸配注文締切日、いそいそと駅前のここに出掛けてきた。コープさんの注文が口実のような気もする。
 ネットカフェは、数年前にも自宅PCが不調になった時に利用したが、ここは初めて。禁煙、レディスコーナーがある。畳1畳をもう少し幅広にしたほどの個室に入って座ると、ディスプレイの横に30センチ角の卓上鏡が立ててあった。レディスだからか、私は要らないぞ嫌いなんだからと思ったが、すぐに違うと分かった。鏡は、後ろ、間仕切り扉が見えるように置かれているのだ。突然誰か他人が入ってくる可能性のある場所、ということを意識した。
 初め静かだったのに、隣のブースに忙しなく入ってきた人はなぜか扉を開けたままにキーボードを叩いていて、私がソフトクリームのお代りに立った時ちらっと見えたのだが、帽子を被ったままだった。閉所恐怖症かしらと思う間に、30分ほどで帰ってしまった。ブログの更新だけしていたのかしら。私と同じように自宅のPCが使えなくて。
 ネットやブログの存在を、また考える機会に遭遇している。
 しばらく更新できていませんが、とりあえず相変わらずにしています。
posted by おやつかいじゅう at 13:22| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする